2019年5月1日水曜日

「あみもの」一首評 投稿:エノモトユミ 3


自分ではなく人間がヒットしてエゴサで凹んでいる輪入道

   /他人が見た夢の話『ある夜のパレード』(『あみもの』第十六号)




 タイトル「ある夜のパレード」=百鬼夜行ということで、妖怪の名前が出てくる連作です。
 妖怪と聞いてパッと故・水木しげるさんを思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。また、『ゲゲゲの鬼太郎』で妖怪というオバケとはまた異なるもののけの存在を知った子供は多いはず。
 あと、私がもう一人思い浮かべるのは京極夏彦さんです。言わずと知れた小説家ですが、『姑獲鳥の夏』でのデビュー以降、「百鬼夜行」シリーズと言われる妖怪小説を書かれています。妖怪小説と銘打つからには当然彼の作中には妖怪がたくさん登場します。作中の登場人物である古書店主・中禅寺秋彦は妖怪を説明する際、鳥山石燕という江戸時代の浮世絵師の作品を引くことが多くあります。
 さて、この歌に登場する「輪入道」ですが、歌を一読した私の心中は以下の通りです。
(うーん、なんか聞いたこともあるような気がするけど、いまいちどんなだったかわかんないなぁ。京極夏彦の百鬼夜行シリーズで出てきた奴だったりしたかなぁ…。よし、とりあえず検索してみよう!)
 と、こういう流れになり、ここでもう作者の術中にはまっていたようです。
「あ、本当に『人間』がヒットするんだ!」
 もちろん、知っている方はもともと知っているでしょうし、何を大袈裟な、歌を読めばわかるじゃないかと言われてしまうかもしれないですが、そこはもう素直に知らんぷりして検索しましょう。
 では、あらためて、【妖怪】輪入道ですが、いったいどんな妖怪なのでしょうか。
 輪入道は、「鳥山石燕の妖怪画集『今昔画図続百鬼』に描かれている日本の妖怪」とあります。見た目は炎に包まれた牛車の車輪の真ん中に男性の顔がある、という奇妙なものです。自分の姿を見たものの魂を抜いていく妖怪とも書かれています。
 「そんな恐ろしい妖怪がエゴサーチして凹むの…?実は輪入道って気弱なの…?そんないかつい顔して…?いや…人を見かけで判断してはいけない。いや…そもそも人ではないな…」などの思いが去来します。
 そんな輪入道に対して、面白いのは同一性が指摘される妖怪がいることです。
 その名は「片輪車」といいます。
 「江戸時代の怪談などの古書に見られる日本の妖怪。炎に包まれた片輪のみの牛車が美女または恐ろしい男を乗せて走り、姿を見たものを祟るとされる」とのことです。パッと見一緒じゃないか、と思うのですが、輪入道はあくまでも「鳥山石燕が描いたもの」なのです。鳥山石燕は輪入道も描いていますが、片輪車も描いておりそちらは女性の姿です。それぞれ鳥山石燕が参考にした文献が異なるようですが、その参考先の文献によればどちらも片輪車のことを指しているらしい。そこから輪入道と片輪車は同じ妖怪なのでは、と指摘されているそうです。
 そう思うと、輪入道の「オリジナリティへのこだわり」が見えてきて、そりゃエゴサーチして人間が先にヒットしたら凹むわなぁ…と納得してしまった次第なのです。
 最後に妖怪について改めて考えますと、妖怪とは人間が説明できない不可思議な現象に名前を与えたものです。「なんかよくわからない変な音する」「妖怪の仕業だね」ということです。実際、明治時代以前の暗闇の支配する日本ではそこかしこに「説明できない怪異」が転がっていたはずです。柳が風に揺れていたら幽霊に見えたでしょう。周辺は真っ暗で恐怖と言う感情は簡単に増幅されるはずで、簡単に見間違えたことでしょう。平成が終わり令和を迎える日本の夜、とりわけ都市部はとても明るい。柳が揺れていれば「あぁ、風があるな」くらいにしか思わないでしょう。しかしながら、光あれば影があるのも真理。現代日本には妖怪よりも恐ろしい人間がはびこっているのだろうなぁと思わせられます。
 それを表すような最後の一首。

  おや、あなた気付きましたか妖怪とそれ以外とがすでに曖昧
 
 隣人がのっぺらぼうでも小豆洗いでも驚かないでいたい令和を過ごしたいものです。
 以上、ここまでお読みくださりありがとうございました。
例によって妖怪についての説明はWikipediaを引用させていただきました。本当は自分の知識だけで書ければよいのですが、ご容赦くださいませ。


評:エノモトユミ(Twitter:@enomotoyumi1007)

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