2019年3月8日金曜日

「あみもの」一首評 投稿:若枝あらう 2


よわむしとつよむしだったら殺す時急に鳴き出す方になりたい

   /草薙『一身上の都合により』(『あみもの』 第十四号)


もしかしたら、この連作に具体的な評をつけるのは適切ではないかもしれない。それどころか私が書こうとしているものはただの感想にすぎないかもしれない。しかし、この歌を読んで自分の中に生まれた波をどこかに残しておきたいと思った。この後を読み進められる場合には、どうかご容赦願いたい。

「AとBだったらC」という肩すかし構造のレトリックは珍しくないが、この歌は『よわむし』と『つよむし』に対して『殺す時急に鳴き出す方』が置かれており、これは「全然違うCによる肩すかし」でもなく、かといって「AかBかすぐにも分かるもの」でもない点に、独特の質量があるように思う。

『殺す時急に鳴き出す方』が、はたして『よわむし』なのか『つよむし』なのか。どんな鳴き声なのか。つよさとはなんなのか。月並みながら、まずはそんなことをふわふわと考えた。

理不尽な死の危険に接して、それぞれのむしは何を鳴くのだろうか。よわむしなら、悲鳴かもしれない。つよむしなら、精一杯の抵抗かもしれない。逆に、鳴かない理由があるとするならなんなのだろうか。恐怖のあまり声が出せないよわさなのか、全てを受け入れるつよさなのか。

なんだか答えは出そうにない。

そんなときふと、主体の思いに目が向いた。そういえば主体は『急に鳴き出す方になりたい』と言っているのだ。もしかしたら、今際に接して何かを発することができるようになりたい…ということではないだろうか。それは、つよさとかよわさとかの話ではなく、もっと根源的なところにある主体の希求であるように感じられた。

そうだとしたら、そして、私がこの主体のそばにいるのなら、まずはいっそ殺そうとしてみたいなぁなどと思ってしまった。そして、どんな声で鳴くのか知ってみたい。鳴かないのであれば、鳴くまで待ってみたい。

おそらくは普段から鳴いてしまえるむしであるところの私の、なんと独善的な読みだろうとは思う。そうであっても、この歌が私にもたらした波は、しばらく消えてくれそうにない。


評:若枝あらう(Twitter:@WakaedaArrau)

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