2019年3月3日日曜日

「あみもの」一首評 投稿:エノモトユミ


ベルエポックの亡霊たちが横切れば今なおゆれるモンパルナスの灯

   /小俵鱚太『ねむれ巴里<改訂版>』(『あみもの』第十四号)



 私は海外で生活したことはありません。海外旅行はあるけれど、アジア圏から出たことがありません。そんな島国根性丸出し(?)の私にとってとても眩しい連作で、フランス・パリの地名が散りばめられています。
 ここで引いた歌で登場する地名は「モンパルナス」です。
 連作全般に目を通すと、雌の梟が夜のパリを案内してくれているということですが、現実的にありえそうな風景の歌の中、このモンパルナスの歌は少し幻想的に感じました。
 ちなみに、私が初めてはモンパルナスという地名を知ったのは友人が学芸員をしている美術館ででした。「池袋モンパルナス」という企画展が行われていました。「池袋モンパルナス」とは、大正末期から第二次世界大戦後頃にかけて、芸術家たちが暮らし、活動の拠点にしていた池袋周辺、および、その文化自体を指します。その後、再びモンパルナスという地名を聴いたのは数年前に公開された藤田嗣治を描いた映画「Foujita」です。ようやっと、ここで本場(?)のモンパルナスに出会います。
 さて、「ベルエポック」は訳せば「よき時代」とか「美しき時代」といいます。第一次世界大戦前までの平和で豊かな時代です。モンマルトルに集っていた芸術家たちが栄華を極めた時代であり、そんな時代にあこがれてやまない回顧主義者たちを「亡霊」としているのだと考えました。ここで、「モンパルナスの灯」という単語で見てみますと、同名の映画があることを知りました。
 この物語の主役はアメデオ・モディリアーニです。貧困や病気に苦しみ、若くして亡くなった芸術家・モディリアーニの生涯を描いた映画だそうです。
 モディリアーニも元々はモンマルトルの安アパートに暮らしていましたが、そのうちモンパルナスに居を移しています。裕福で地位もあるフランス人芸術家と対極にいる、モディリアーニのような貧しい移民芸術家たちはモンパルナスに集っていったのだそう。
 そこでモンマルトル=富、モンパルナス=貧という対比がわかりやすく浮かび上がってきます。
 モディリアーニは貧困の末、病気を患い、また大量飲酒など荒廃した生活の末、35歳で亡くなったそうですが、死後にその才能は高く評価されています。そうすると「ベルエポックの亡霊」は単なる回顧主義者というだけではなく、かつてモンマルトルで暮らした裕福な画家やパトロンたちにも思えてきます。「今なおゆれるモンパルナスの灯」とはモディリアーニ、またその他の貧しい芸術家たちの輝ける才能の灯であり、生前に彼らを評価しなかった「ベルエポックの亡霊たち」をあざ笑っているかのようです。
 そんな風にモディリアーニについて考えながら、改めて連作全般を見ると十首目に「おや?」と思います。

  裸婦しかも背中側しか描かぬ画家 夜明けをあるく酒瓶揺らし

 2018年5月の段階でサザビーズのオークションで最高額で落札されたモディリアーニの絵画が《横たわる裸婦》であり、背中を向けているものです。酒におぼれざるをえなかったモディリアーニの姿がこの歌の画家に重なって見えてきませんか。
 梟が見ていたものは、果たして現代のパリだったのか、それともモディリアーニの生きたパリだったのか。私は両方だと思いたいです。過去と現在を行き来して、夜と朝のはざまを悠々と飛ぶ梟の姿が目に浮かぶのでした。
 それでは、ここらで「Au revoir」といたします。お読みいただきありがとうございました。

※おことわりしておきますと、私は美術を専門に学んだものではありません。いろいろ調べながら書かせていただいた文章になりますので、浅薄な知識につきましてお詫びいたします。ご了承ください。


評:エノモトユミ(Twitter:@enomotoyumi1007)

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