2019年1月1日火曜日

「あみもの」一首評 投稿:平出奔


立っているペットボトルがそれだけでペットボトルで泣けてこないか 

   /さはらや『帰ることのない遠足』 (『あみもの 第十一号』)


 ペットボトルをペットボトルたらしめる要素とは、いったい何だろうか? 透けるからだ、なめらかな肌、液体または空洞に満たされた内。日付の刻印。PETのリサイクル・マーク。そのいずれもを、ペットボトル自身は知覚してはいないだろう。彼らに知性や意志はない。ペットボトルは、われわれ人間の科学の力で生み出された「モノ」なのである。 
 しかし、それでも、ペットボトルは自立することができる。地に足を着け、てん、と立つ。彼らのその姿はどこか誇らしげでさえある。この歌の主体はペットボトルを見て、ふいに、そのことに気付いたのだろう。立っているペットボトルは、ただそれだけで、ペットボトルでありえるのだ。  
 そこで、なぜ「泣けて」くるのか。いくつかの読み方はあるだろうが、私は、主体が自身とペットボトルを比べてしまったのではないかと読んだ。おそらく、自分に自信を持つことが苦手なひとなのだろう。自分にはなにができるのか、自分はなんのために生きているのだろうか、と日々悩みを抱えている、そんなひとを想像した。そのひとの目にふいに映ったペットボトルの姿は、さぞ眩しかったことだろう。だから「泣けて」しまうのだろう。  
 そして、そのひとは歌を通して読者に「泣けてこないか」と問いかける。そう、ペットボトルで「泣けて」しまう自分の気持ち、それにさえも、このひとは確信を抱けていないのだ。誰かに同意され、はじめて自身の感傷を確信できる。この問いかけは、きっと無意識的に漏れ出たものなのだろう。  
 ひとは誰しも弱さを抱えている。ときとして、目に映るすべてに劣等感を抱いてしまうことや、その劣等感にさえ確信を持つことのできないようなこともある。この歌は、その弱さを滑らかな口語で描き、問いかけの形で歌意を補強しつつ読者の共感を呼ぶ。


評:平出奔(Twitter:@Hiraide_Hon)

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