2019年1月2日水曜日
「あみもの」一首評 投稿:花房香枝
覚えたてひっくり返るひらがなの「ままだいすき」に救われる日々
/日向彼方『つづく日々の水彩画』(『あみもの 第十一号』)
最初にまずこれをお読みのみなさんは、「ままだいすき」って言えてますか。私は言えてないです。大多数が私のような方々多いのではないでしょうか。 こどものころは大人がすごく強くて立派な存在に見えて、それが私は憧れでした。そして自分もいつかそんな存在になれると疑わなかった。母親と手を繋ぐたびその包み込む手のひらの大きさに安心していて、そして母親の手はいつまでも大きく包み込んでくれるものだと信じていた。 たとえひっくり返るひらがなしか書けなくてもこどもは立派です。少なくとも今の私にはできないことを三つもやってのける。覚えたてのひらがなであろうと「ままだいすき」と声に出すことを躊躇わない。私は年齢は大人になりましたが、信じることも疑わないことも躊躇わないこともできていません。それどころか、救われたいとすら毎日願っている、そんな大人になってしまいました。 この作者もきっとつづく日々のなかで「救われたい」と何度も思っているのでしょう。作者もきっと私と同じく信じることも疑わないことも躊躇わないこともこどもほど上手くできてはいないから。 ただ素直に感情をそのまま伝えることは難しいし、それを歌として詠むなら尚更難しいと思います。しかしそこはやはり作者の言葉のセンス。「覚えたてひっくり返るひらがなの」で登場人物にこどもが出てくるという説明と、まだそのこどもが幼いということを上手く説明している。「救われる日々」というのもいい。「助けられる日々」だと個人的にはちょっと違う。とか言って「愛される日々」だともっと違う気がする。これはあくまでも個人的な感覚ですが。きっとこれが作者にとってのひとつの行き着いた答えなんだと思います。そして日々を重ねていかなければきっとこの答えには行き着かない。 つづく日々、幸せな日もそうじゃない日も色々あってこの言葉に行き着いたから読者はすんなりと心に入ってくる。そしてこれ母親ではなく一人の人間と毎日懸命に向き合っている作者にしか詠めない歌だと私は思いました。好きな歌です。
評:花房香枝(Twitter:@hanabusakae)
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