2019年1月12日土曜日

「あみもの」一首評 投稿:花房香枝 2


美しきホムンクルスの少女らは瞳を閉じてただ冬を聴く

   /あひるだんさー 『秋から冬へそして春』(『あみもの』第十号)


 絶妙なバランスで成り立っている歌だと思いました。上の句が絶妙なバランスのピースが、下の句でぴたっとパズルとしてハマるような。

「美しきホムンクルスの少女らは」という上の句があるからこそ、「瞳を閉じてただ冬を聴く」という下の句をより一層際立たせて美しくしている、そんな印象を私は読んだ最初に受けました。

 この絶妙なバランスと美しさはどこから来ているのか、今回はこの歌を評するにあたって全体を通して考えてみると、ふたつのキーワードが浮かんできました。

 それは「情報」と「情緒」です。
 このふたつが絶妙なバランスで含まれていることがこの歌の魅力だと私は考えました。以下、少し丁寧に掘り下げていきます。

 ひとつめに「情報」。これは個人的にとても重要だと思います。

 この歌の上の句は導入として、「ホムンクルス(人造人間)がいる世界観」を17文字でとても簡潔に表しています。この上の句だけで、読者ははっきりとまではいかなくてもなんとなく歌の世界観を掴めてしまう、そんな風に感じました。

 第一印象は大切だとよく言われますが、私は短歌含め創作全般において、第一印象に繋がる導入はとても大切なものだと考えています。いくら素敵な作品だろうと、第一印象があまりこれといったものがないせいで作品が読者の目に触れない、それにより作品の魅力を半減させてしまっている、というのはとても勿体ないと思います。私自身常日頃気をつけたいといつも考えている点です。

 歌の導入部の上の句で歌の世界感を読者に掴ませることは、なかなか容易いことではありません。そしてこれは先程述べた第一印象に繋がってくるものだと思います。人には好き嫌いなど好みがあるのでこの上の句から受ける第一印象が良くない読者は自然と歌から離れていきますが、逆に良い印象を受けた読者は歌にこの時点で引き込まれます。

 私はどんなものであれ、最初に第一印象を持ってもらうことは何かしらのインパクトや可能性を秘めていると思います。そして読者に印象を持ってもらうためには、導入で世界観や感情や情景など何かしらの情報を提示することが必要だと考えています。

 導入で読者に世界観の情報を提示する、という点においてはこの上の句はとても良くできていると感じました。その導入で読者に世界観などの第一印象を持ってもらったからこそ、下の句の情報が生き生きと歌の中で活きてくるのだと思います。「瞳を閉じてただ冬を聴く」という下の句はそれだけで充分美しい描写ですが、表現が抽象的なので上の句がしっかりしていなければぼんやりとした印象も持たれかねません。その点でもいい相乗効果を果たしていると言えると思います。

 そしてふたつめの「情緒」。先程までは導入として情報を提示することを主軸に読んてきましたが、今度は逆に「情緒」を主軸として読んでいきたいなと思います。

 散々情報を提示することについて散々語ってきてあれなのですが、もしこの歌が情報だけを提示したものであったら、歌としては成り立ってもここまでの完成度にはならなかったと思っています。

 たとえば、情報だけを簡潔に説明したものとして挙げられるのが、電子機器の説明書です。もっともポピュラーかつ私たちに馴染みが深いものではないでしょうか。

 当たり前のことですが、電子機器の説明書というものは、ただただ簡潔に、そして事細かにその機器の使い方が書いています。そ そして情景や感情といった情緒は一切書かれていません。そもそも情緒を書く目的ではなく、ただ情報を正確に事実として伝えることが目的に作られたものであるからです。

 そして私は短歌含めて文学というものは、言うならば説明書の情報に情緒として感情や情景が肉付けされたものだと考えています。情報を事細かに伝えられているだけでは何も心は動かされませんが、それに情緒が肉付けされることで、読者はここではじめて心を動かされるのではないでしょうか。

 ちなみに上の句も情報的な側面だけではなく、充分情緒的な面から見てもよくできていると思います。そのひとつが微妙な言葉選びの選び方です。「美しい」ではなく、「美しき」、「少女たちは」ではなく「少女らは」、と表現することで作者の情緒が少なからず伝わってくるからです。「ホムンクルス」が「人造人間」だったらそれはちょっとまた歌全体の印象が変わるように、微妙な言葉の選び方で、歌の世界観の情緒を表現していると思います。

 それを踏まえると、先程抽象的だと述べた下の句の「瞳を閉じてただ冬を聴く」というのはとても情緒的な表現だと言えます。情報の面から見ると上の句の方が伝わる情報量が多いですが、下の句までも情報的にしてしまうとそれはあまりにも味気がない。そして抽象的な曖昧さがあるからこそ、それが余白として読者の想像力を引き立てているのだと感じました。情報の引き算をして生まれたこの下の句は、はっとしてしまうほど美しいです。

 ホムンクルスの少女らのまだ開いていないであろう瞳は、いつ冬の音色で目覚め、そして冬の景色をその瞳に映すのでしょうか。


評:花房香枝(Twitter:@hanabusakae)

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