2019年1月12日土曜日

「あみもの」一首評 投稿:小泉夜雨


いっせいに人が記憶を失えばすべての国が消えてしまうよ

   /くろだたけし『緑』(『あみもの』第十一号)

 記憶とはとても不確かなものだ。忘れてしまうこともあれば、自ら書き換えてしまうこともある。この歌は至極当たり前のことをうたっているような気もする。でも、それは本当に起こってしまう可能性もはらんでいて、そのことを面白く思う。 「いっせいに」、「すべての国」……なんてスケールの大きな話なんだろう。そんなことあるはずないとわかっているのに、いやでも、もしかすると、なんて疑いたくもなる。営みもなにもかも全部が消えてしまう。きちんと積み重ねてきたはずのものが一瞬で崩壊する恐怖とあっけなさ。  「国」は国家・領域としてのそれだけでなく、各々がもつ心のことについても当てはまると思う。共に歩んだもの、人生を捧げたもの、すべての記憶を失えばなにも拠り所にするものがなくなってしまう。私を私たらしめる要素、それは元来自分が持っていたものより、他者・外部からの干渉によるもののほうが大きいのだ。そんな脆さに対して「消えてしまうよ」はとてもしずかに、はっきりときこえる。  確かなものなんてこの世界にはなにもない。たったひとつある自分の身も、その記憶さえも失ってしまう。そんな空恐ろしさが、この歌にはある。


評:小泉夜雨(Twitter:@kozumi_yau)

1 件のコメント:

  1.  小泉さん、素敵な短歌の紹介&評をありがとうございます!
    とてもユニークな仮定の面白い発想にもとづいた短歌ですね。なるほどと思いました。
    小泉さんの評も説得力があり、歌をより一層味わい深くしてくれています。

     私は少し違った視点の感想を持ったので、ここに書かせていただきたいと思います。
     すべての国(ひいては自己)が消えてしまうのは、確かに恐ろしいことです。でも、それってポジティブに捉えることも出来るのではないか。全員が国境を忘れることで国という概念が消え、ひとつになる。自己を忘れることで、全員が同等な人間になる。後者はちょっとやはり怖いですが、前者は良い意味で語られることが多いように思います。
     この歌は、国が消えることを「消えてしまうよ」と淡々と語るにとどめていて、「それは悲しいね」とか「良いことだよね」とかは言わない。それが読み手に想像の余地を多分に与えてくれて、この歌を魅力的なものにしていると感じました。

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