2019年7月15日月曜日
「あみもの」一首評 投稿者:山口綴り
意味の意味は意味の意味ゆえ意味の意味を意味と取らればまた意味と成る
/千仗千紘『此奇貨可居』(『あみもの』第十八号)
10首からなる連作のうちの8首目に位置している歌である。
歴史的仮名遣いが用いられており、硬質な言葉が数多く使われていてそれが格調高さをまとっている。
作中主体は静謐な図書館におり、様々な言葉の意味を調べている、という情景を思い浮かべた。
引用した歌を自分なりに解釈すると、
「意味」っていう言葉がどういう意味かというと、それは意味っていう意味だから
ああ、意味の意味って「意味」っていう意味なんだなあ、ととらえるとそれがまたひとつの意味となるなあ
ということになるだろうか。一見ただごと歌のような「当り前じゃねえか」感が漂うが
言葉と、言葉の持つ「意味」というふたつの分断について、深く考えさせられる歌だと感じた。
構造主義の祖であるソシュールの本を読むと必ずと言っていいほど出てくる例えの中に、
「フランス語では蝶と蛾の区別がなく、両方ともpapillonという言葉である」というものがある。
日本では一般的に、蝶は花の似合ううつくしいもの、蛾はどこかおぞましく夜に飛び交うものというイメージがあると思う(蝶が苦手なひとも少なくはないが)。しかしフランス語では両方がpapillonなのでそういった感覚はないのだろう。
言葉という道具でどうやって世界を切り分けるか。そのナイフの入れ方で世界の見方は大きく変わってしまう。
ある集団の中から何かを区別するような単語が生み出される。そのナイフで切り分けられたものはもとの集団から分断されていつしか排除対象になってしまうかもしれない。
よく創作の界隈などで問題になる「言葉狩り」という行為はわたしは支持をしない。
どのような言葉もこの世の中にあっていいと思う。
しかし、言葉で世界を切り分けることにわたしたちは少し慎重になったほうがいいのかもしれない。
そのようなことを考えさせられる歌だと思った。
また、この歌の中には実に8回の「意味」という単語が使われている。音数にすると16音。
それでいて意味がしっかり通る定型の短歌にことばを収めている千仗さんのテクニックがすごいなって思いました。
(語彙が急にアレですみません)素敵な歌をありがとうございます!
評:山口綴り(Twitter:@Tsuzuri_YMGC)
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